余裕で生きる
 貧困層の生態と習性/貧困層の人は、集団心理に流される
貧困層の人間は、ほとんどが集団心理に流されている

ポイント付与に流されて、今日も必死で動く貧困層の消費者
いつもはガラガラの駐車場に、曜日によっては駐車場が溢れるのでないかと車が押し寄せるお店があります。


<続く>
貧困層の人間は、ほとんどが集団心理に流されている
   
同類の人間が集まるグループ内の奥深くには、貧困層の人間の安住の地があります。

同類の人間が集まるグループの奥深くに居ると、そこはとても暗く、外部からはほとんど見ることができません。
もちろん、奥深くの内部からも外の世界を見ることができません。

ですから、人数には数えられることあっても、その存在をほとんどの人は知りません。

グループの行動は、外側を陣取っている人たちが決めています。
外側に居る人たちが外部の風やその風の性質、強さなどを判断して動きます。

それが本来の姿なのですが、自分たちの判断と言うより、実際はほとんどが外部の影響を受けて流されています。

グループの中に居る人たちは、グループ全体の動きに連動して動いているだけで、自分たちの意志は反映されていません。

ですから、グループの動きは、誰が主導権を持っているのか誰も知りません。
主導権を持っていると思われる人が見えないのですから知るはずもありません。

外側に陣取っている人たちは、外部の風を受けています。
だからと言って、その風を受けて何らかの意思を示すわけではありません。

しかし、グループの内側に居る人たちは、外部も見えず、その風も臭いもわかりません。
ただただ、グループの動きに連動しているだけです。

グループの内部に居る人間は、自分の意志や意見が反映されるわけでもなく、ましてや考える必要もなく、ただただグループの奥深くで漂っているのです。
そう、漂っているという言葉が適切かもしれません。

貧困層の中には、グループ内に留まらない人間もいます。
「一緒では、ヤダ!」

そんな感じで閉じこもっています。
集団で行動することを嫌い閉じこもってるのです。

一見、自主性があるのかと言うと、意志を示すわけでもなく、意見も言いません。
ただただ閉じこもっているのです。

このような場所にいる人は、ときどきキレて暴発します。
グループに入らない、いや、入れない人間ですからどこかに秘めた思いを持っています。

通常では考えられないように深入りしてしまうこともあります。
言えば、思い込みです。

外部とはインターネットで繋がっています。
しかし、人間のように見えて人間との交流ではなく、ほとんどは異空間の無機質な「もの」との交流です。

貧困層の人間は、多くがグループ内におり、一部が閉じこもりを決め込んでいます。
グループ内の貧困層はグループの動きに連動して漂い、閉じこもりはインターネットに動かされています。

共通しているのは、自分の意志や意見、考えで行動していないことです。
流されているという言葉が適切と思われますが、彼らを流している人の姿が見えません。
また、見ようともしません。

ただ、大きな流れに動かされているのです。
皆が動くから、自分も動いてしまうのです。

この流れの現象は、以前から人民統治に活かされてきました。
人民を貧困にさせ、意志や意見を持たせないことです。

指示されるように皆で動けばご褒美がいただけます。
ときどき飴玉をいただけることを期待して、意志や意見を言う機能を無くし、生きることを選択しているのです。

この人民統治の方法は、現在でも各地で実行されていますがこのことをあまり議論されません。
統治する者からすれば、下部層からの意見は聞きたくないのです。

人民は、そのあたりを感じていて流されています。
漂っています。

流されているほうが気楽だからです。
<170604>
このページのTOPに戻る